世間とのズレ

 

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達とLINEでビデオ通話をした。彼女達と話すのは久しぶりだったのでお互いの近況について、積もる話に花を咲かせた。

会話をしている最中、一番下の、まるで幼稚園児が何も精神的成長をしなかった様な妹が鼻くそをほじり、彼女の指が掘り出した採れたてホヤホヤの鼻くそを見せてきた。彼女の下品さには呆れるほかなかったが、彼女のその行動に、僕の安心して帰ることのできるホームベースを見た様な気がして(僕のホームベースは鼻くそにまみれているのだ)、少し安心したのも事実である。

僕は彼女に「やっぱり、鼻くそって見せるものじゃないよ」と当たり前の忠告をした。そして、「だって、僕がここで鼻くそをほじって出すより、僕がここでおちんちん出す方が、まだマシでしょ」と言った。すると、すぐさま「そんな訳ないだろ」との反論。「鼻くそは誰だってみんな同じようなものじゃん。でも、おちんちんはお前のオリジナルな要素が強いだろ。少なくとも、まだ鼻くそを見せつけられる方がいいよ」

確かに言われればそんな気がする。僕のおちんちんがオリジナリティに溢れているかどうかには疑問があるが(というかおちんちんのオリジナリティとは?笑)、僕はこういう所の感覚が他の人とズレているのだろう。音痴が自分で音痴だと気付けず、他人からの指摘で気付かされる様に、このズレは一回失敗しないと分からないものだ。「あの分野は他の人とズレている気がするけど、まさかこの分野でズレるなんてことはないだろう」と毎回思って、毎回失敗をしているのだ。

人から褒められることの少ない僕だが、人からたまに話が面白いと誉めて頂くことがある。そう言われると、「どういう所がよかった?」と尋ねるようにしている。すると、自分でも話したことを忘れているような些細な話や、別に面白い話をしようと思って話した訳ではない話をお褒め頂くことが多い。最初は、「これは笑わせているのではなくて、笑われているのだ」との認識から、なんだか嫌だなと感じていた。しかし、今はそれはそれでアリな気がしてきた。話を聞いてくれた人が楽しけりゃそれで充分だし、他の人がどんなことを面白いと思っているのかに興味が湧いてきたからだ。

結果オーライで生きた方が、人生の幸せの総量が多い気がする。