クリスマスには聖書を

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クリスマスが終わった。今日は今年のクリスマスをどのようにして過ごしたかについて記す。

以前から、聖書を読まなければと考えていた。映画、小説、ドラマ、音楽あらゆる分野に大きな影響を与えている聖書を読まないのってどうなのかという考えを昔から抱いていた。恥ずかしいことに、僕は今まで(断片的に読んだことがある箇所もあるにはあるが)聖書をしっかりと読んだことがないという無教養男でして、「今年は時間があるのだから、今年こそは」と読んでみた。

読む前に、クリスマスの人で溢れかえる繁華街に足を運んだ。何故なら、聖書を読んだことのない僕でも「汝、姦淫することなかれ」くらいは知っていますので、仮にもキリスト教のイベントであるクリスマスに「姦淫する」者や(聖夜ならぬ性夜になっている現状をどのようにお思いなのでしょうか)、馬鹿騒ぎする者を見ることによって、より聖書の言葉が胸を打つのではないかとの考えからです。

そのため、クリスマスは夜のホテル街、繁華街を歩き回りました。そしたら、沢山いるんです。ホテルに出たり、入ったりするカップルが。この時の僕の気持ちを刑事ドラマ風に言うならば、「出入りしているのは、ホテルの前だけじゃない。ホテルの中で起こっているんだ」という感じでしょうか。

家に帰って、聖書を読み始めました。結論から言うと、今回聖書を読んで非常に良かったなと思いました。どうしてそのように考えたのかというと、聖書が長い期間読まれ続けた理由が分かったのです。それは、聖書を読むと過去の体験を思い出すのです。「そういえばさ」みたいに。

グレゴリーベイトソンは「精神と自然」の中で、人間は思い出すことによって、創造的な知性の振る舞いを獲得できるということを書いていたことを、僕は今回聖書を読むことによって思い出しました。

聖書は人に様々な記憶を思い出させます。人間が何千年と読んできた本が「出来事を思い出させる」本であるということが分かっただけでも、今年のクリスマスは実り多きものとなったと言えるでしょう。このことを忘れないのであれば、ホテル街で見たアベックのことは忘れてもいいかもしれませんね。