気持ち悪い男女の作った「美しい国」

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ANN55周年の放送があったけれど、一番最悪だった放送は秋元康ANNで異論はないだろう。

権力を持つ迷惑なジジイの自慢話。そして、その権力を持つジジイにひたすら気に入られようと媚を売り続ける「綺麗な」女性。今日の日本が如何にしてダメになったのか、こんなに分かりやすく、我々に可視化(ラジオだから可聴化というべきか)されたものってないんじゃないかな。現代日本は「気持ち悪い」男と「綺麗な」女性の間にできた子供なのだ。

その点で、秋元康ANNは大きな役割を果たしたと言ってもいいと思う。皮肉じゃなくてね。

今回の放送で、僕の黒木瞳の好感度は地に堕ちた。綺麗な女優だなと思っていたのに、こんな下品な女性だったのかと本当にがっかりした。番組登場から退場まで、全て気持ち悪かった。

AKB48「会いたかった」の曲を歌いながら登場し、「秋元さんに会いたかったですー」「私は秋元さんとの約束は守る女なんですよ」「私と秋元さんとは深い仲です」と恋とマシンガンならぬ、媚のマシンガンで場を圧倒したと思ったら、一緒に放送をしている佐久間氏の話には無視を決め込み、その間も、「佐久間さん、まだ弾は残っとるけぇのう」と秋元康へ媚のマシンガンを撒き散らし続けるのでした。これには天国の深作欣二菅原文太も呆れていることでしょう。

いやー本当に気持ち悪かったなあ。秋元康黒木瞳的な人物が欣喜雀躍としていたバブル時代に生まれてなくて、つくづく良かったと思った。

ありがとう、家系ラーメン

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友達と「今年食べたものの中で一番不味かったのは何か」のテーマで駄弁った。

友達のワースト飯は、うんこの匂いのする家系ラーメンであると言っていた。「家は家でも、まさか便所だとはなあぁ」と二人で結構笑った。

この会話は今年八番目くらいに面白かった。

クリスマスには聖書を

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クリスマスが終わった。今日は今年のクリスマスをどのようにして過ごしたかについて記す。

以前から、聖書を読まなければと考えていた。映画、小説、ドラマ、音楽あらゆる分野に大きな影響を与えている聖書を読まないのってどうなのかという考えを昔から抱いていた。恥ずかしいことに、僕は今まで(断片的に読んだことがある箇所もあるにはあるが)聖書をしっかりと読んだことがないという無教養男でして、「今年は時間があるのだから、今年こそは」と読んでみた。

読む前に、クリスマスの人で溢れかえる繁華街に足を運んだ。何故なら、聖書を読んだことのない僕でも「汝、姦淫することなかれ」くらいは知っていますので、仮にもキリスト教のイベントであるクリスマスに「姦淫する」者や(聖夜ならぬ性夜になっている現状をどのようにお思いなのでしょうか)、馬鹿騒ぎする者を見ることによって、より聖書の言葉が胸を打つのではないかとの考えからです。

そのため、クリスマスは夜のホテル街、繁華街を歩き回りました。そしたら、沢山いるんです。ホテルに出たり、入ったりするカップルが。この時の僕の気持ちを刑事ドラマ風に言うならば、「出入りしているのは、ホテルの前だけじゃない。ホテルの中で起こっているんだ」という感じでしょうか。

家に帰って、聖書を読み始めました。結論から言うと、今回聖書を読んで非常に良かったなと思いました。どうしてそのように考えたのかというと、聖書が長い期間読まれ続けた理由が分かったのです。それは、聖書を読むと過去の体験を思い出すのです。「そういえばさ」みたいに。

グレゴリーベイトソンは「精神と自然」の中で、人間は思い出すことによって、創造的な知性の振る舞いを獲得できるということを書いていたことを、僕は今回聖書を読むことによって思い出しました。

聖書は人に様々な記憶を思い出させます。人間が何千年と読んできた本が「出来事を思い出させる」本であるということが分かっただけでも、今年のクリスマスは実り多きものとなったと言えるでしょう。このことを忘れないのであれば、ホテル街で見たアベックのことは忘れてもいいかもしれませんね。

マック発 忍者行き

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忍者ってかっこいいですよね。僕が幼いときもそう思っていたけど、今でもそう思う。指令を受けて、城に忍び込み巻物を盗んだり、色んな術を使って敵を撹乱させたりとか、とにかくかっこいいんだ。

小学生の時の僕は、というか今もそうですけど、かなりの妄想少年でした。忍者みたいなことしてーよと、かなり熱心に考えていた。

それで思いついたのが水遁の術はできるのではないかということでした。

水遁の術と聞いて、「?」が頭に浮かんだ人に向けて説明をすると、忍者が水中に身を隠している時に行う術です。水中には当然空気がない。なので、空気をどうにかして吸わないと、長時間水中にいることはできません。しかし、空気を吸うために水中から顔を出したら、敵に見つかってしまいます。それを解決するのが水遁の術というわけです。水遁の術は、水辺に生えている植物に似せた筒を使います。その筒を咥えることによって呼吸します。割とポピュラーな術なので知っている人も多いのではないでしょうか。

これを実践したのです。用意するのは筒と水だけ。筒はラップの芯を使えばいいし、水はお風呂です。やってみて分かったこと思ったことは、鼻から水が入って全く上手くいきませんでした。こんなこと想定しておけよという話ですが、思考の外にありました。馬鹿の熟考というのは、下手な考え休むに似たりとは言ったもので、本当にダメダメでありました。そして、使用した筒が紙でできていたために、口に嫌な味が残ったことを覚えています。僕はヤギには向いていないみたいだ。

ということを友達とマクドナルドで昼飯を食べていて、紙ストローでジュースを飲んだ時に、口に広がった嫌な感覚を味わった時に思い出したのです。そのことを友達に話したら、ものすごく呆れてましたがね。

現実頭皮

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多くの男が心配することの一つに、自分は将来ハゲてしまうのではないかという不安がある。かくいう僕もその一人である。

父は現時点ではハゲていない。だから安心ともいかないのが、ハゲ問題である。フサフサの父親から生まれたピカピカの息子の例なんていくらでもある。ピカピカの父親からピカピカの息子が生まれやすいのは確かだと思うが。

かっこいいハゲ、髪があればカッコよかったタイプハゲ、髪があってもなくても不細工なハゲなどハゲにも色んなパターンがある。

僕も現時点ではハゲていないのだけれど、ハゲた時のシミュレーションをしようと思って、おでこをぐいっと出してみたら、妹たちが堰を切ったように、大笑いした。妹たちから笑われた姿を一目見たら、そこには寂寥感のある男一匹が鏡の前に立っていた。ハゲ向いてないみたい。

悩みの尽きない髪の毛問題であるが、ネットニュースを見ていたら、体外で髪の毛を作ることに、マウスの段階ではあるが、横浜国立大が成功したとのニュースを見つけた。

ナンシー関のエッセイに本物を超えるカツラはありか?のテーマで書かれたものがあったように記憶しているのだけれど、僕は、遠くない未来カツラはなくなるんじゃないかという気がする。50年後、60年後の子孫たちにカツラのことなんか話したら、「えー、昔の人は髪の毛を模したものを頭の上に載せてただけなんですか!?」なんて驚かれるんじゃないか。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。子供もいつかは老人になって、その時代の子供たちに驚かれる宿命なのだ。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221022/k10013866881000.html

 

そこに愛はあるんか

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ぷらぷらと散歩をしていましたら、小学生の集団が、校門前で待ち合わせをしているようでした。年はまだ二桁に届いていないように見える、生まれたてほやほや、少年少女でした。

待ち合わせに、あと一人来ていないようで、スマホで電話を掛けて、早く来るように催促しておりました。こんな小さい子供たちでもスマホ持ってるんだなあと思うのと同時に、電話の時の子供の会話で思い出したことがあるので、今回はそれについて。

電話をしている時に、男の子が「そこに愛はあるんか?」とサラ金のキャッチフレーズを使っておりました。CMでの大田真央の言い方が面白いために、子供たちも真似して言っているんでしょうけど、サラ金の言葉を子供が使っているってなんか凄いなと思ってしまいますね。

じゃあ、自分はどうだったのかと振り返ってみますと、僕は僕でナプキンの「はだおもい」を「片思い」と言い換えていたり、パチンコのCMのセリフを暗記してみんなの前で披露したりしていたから、全く彼らを責める資格なしという感じですかね。

いま考えると、よくこんなことを言っていたなということはよくあります。「どうして、僕たちは生まれるの?」とかそのようなこと。

子供に見せたくない番組でクレヨンしんちゃんが挙げられていましたが、今まで納得いかなかったのですが、僕が子供の時くらいのクレヨンしんちゃんの回を見て、やっとわかりました。しんちゃんがで生命誕生の謎に迫り、父ひろしがそれに応えようとして、母みさえに殴られるというシーンがかなりあるのですね。

これは今見返して、ようやく分かりました。親は見ていてヒリヒリしていたのでしょうけれど子供ってのは意外とそんなことに気づかず、楽しく見ているものです。

受験勉強において、復習が最重要であるとはよく言いますが、人生においても復習ってのはかなり大事なのではと改めて感じた。

 

君の名は

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僕の名字は別になんてことはないのだけれど、下の名前が珍しくて、同じ名前の人と会ったことがない。そのためか分からないのだが、僕はよく下の名前で呼ばれる。中学生の時の担任には、「あんたの名前は怒るときに、叫びやすくていいよ」なんて言われていた。

今回は名前についての話を書く。僕はありふれた名前を羨ましく思っていた。こんなことを書くと馬鹿だと思われそうだけれど、恋愛ドラマとかAVとかで、もし自分の名前と同じ登場人物がいたら、とても捗りそうだと思ったからだ。何が捗るかは、言わずもがなである。

そのことを、ありふれた名前の友人に話したら、「それは違う!」と語勢を強めた。「むしろ、逆なんだ」と。

話を聞くと、物語に没入しているのに、自分の名前が呼ばれると、ふっと覚めてしまうことがあるようだ。確かに、シリアスなドラマだったらそうかもしれないが、ちょっとスケベなやつだったら話は違うのではないか。そのことについては、彼に深く訊ねることができなかった。彼は自分の名前と同じ登場人物のいる作品を中心に見て快感を得ているのではないかという疑いはまだ晴れていない。

このことに関しては、どんよりとした曇りの日が続きそうだ。